あの日から早40日が過ぎようとしています。
新しい山スキーを購入し、初滑りしたのが3月10日でした。
スキー場は今シーズンの営業を自粛しましたが、山スキーであれば登って滑る事だって出来ました。
ただ、そういう気持ちにはなれませんでした。
しかし、今日は刈田岳まで登り刈田神社でお参りしてこようと出かけることにしました。
もう4月も下旬になるのに雪はまだたっぷりとあります。
雪原のなかのアオモリトドマツの林、遠くの山、近くの山もいつものこの季節の風景に変わりありません。
しかし、馬の背の稜線に出て刈田岳に向うと南東の方向に太平洋の海岸線が望まれるのです。
10日ほど前その海岸線の高速道路を走り、そこに広がる、とてもこの世のものとは思えない光景に心が痛むのをどうすることも出来ませんでした。
まだ雪に包まれている神社に深々と頭を下げ、被災地の復興と原発の1日でも早い収束と、原発のための二次被害にあっている農業、漁業、観光産業、そして多くの日本国民、それに観光で日本に行きたくても行けないでいる諸外国の人々、すべてが、震災前と同じように、平和で、和やかに、希望に満ちて日々の暮らしを送ることが出来るようお祈りいたしました。
エコーラインの除雪も進んでいます。
たくさんの観光客が訪れるのを待ち望んでいます。
冬から春へと変わりつつあるお釜、氷が解け始めるのも間もなくでしょう。 hisa
水、木で宮城県に行き、津波被害を受けた塩釜の知人を訪ねてきました。
あれから4週間ほど経った街は大きく破壊されている建物、路地裏に流れ込み折り重なっている車・・・道路脇に寄せられた瓦礫は他県の応援の人達によって片付けられていました。
あと2週間ほどかかるようでした。
何事もなかったように佇んでいる家は懸命に清掃されたのでしょうね。
松島の小さな島々で津波はだいぶ弱められたとは言え、広範囲で1階部分が水没、街が元に戻るには長くかかりそうです。
仙台東部道路若林JCT付近
被災地に一般車が入れるようになり、見物の車で渋滞をひきおこしているとのニュースを見ました。
もっと訪ねたい人もいたのですが、無事が確認されていることや被害も少ないことなどで失礼しました。
帰って来た夜には再び大きな余震、時間は短かったけれど、娘は本震では倒れなかった棚や鉢が倒れ余震の方が酷かったと言っていました。
さて再び雪に囲まれた生活です。
坊平より4km下の猿倉スキー場では、リフトが動き高校生がポールを張ってスキーの練習をしていました。
まだ滑れるほどの雪があるのです。
蔵王エコーラインは28日開通を目指して除雪、補修工事を進めているとのことです。
蔵王スキー場も再開の予定がたったようです。
少しずつ普通の生活に戻しながら元気になっていくことが、被災地の復旧復興にもつながるものと思っています。
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Author:noguchi
pensionオーナー夫人
山が好き、花が好き、鳥が好き・・・
やっと自然を楽しめる年齢になりました。
オーナー(hisa)も投稿します。