蔵王の山ふところから

標高1000m、蔵王の中腹に住む私達の事、お客さんの事、山の事など・・・
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蔵王県境裁判

良いお天気なので大黒天から熊野岳へ行ってきました。 

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お釜の山肌にはまだ残雪があります。
登山道沿いの花はイワカガミ、ツマトリソウが最盛期、ハクサンチドリは咲き始め、マイズルソウは蕾、ミネズオウが少々咲いていました。




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刈田岳は登山客と観光客が入り混じって賑やかでした。
刈田神社の売店の軒先にぶら下がっているのがライブカメラのようですね。
いつも画像に写っているフィルムののぼり旗も近くにありました。



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刈田岳から馬の背へ。
刈田リフトを降りてお釜見物に行く道は、昨秋工事をしていましたが立派に完成していました。

刈田岳から地蔵山の稜線は、足の便が良く比較的なだらかなので色々な格好の人が歩いています。 今日はタンクトップにヒラヒラのひざ上スカート、ビーチサンダルの人が地蔵から熊野岳を越えて馬の背まで来ていました。




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御田の神湿原と熊野岳


熊野岳から来た道を戻り、久し振りに御田の神へ行く事にしました。
登山道が御田の神を通らなくなってから、なんとなく寄り損ねて随分経ってしまいました。
もう終わっているのではと思ったチングルマとヒナザクラが満開、嬉しかったです。
やっと花に会えて満足!車を止めた刈田駐車場に戻ります。
ここには営業している刈田リフトと廃線リフトがあります。
廃線リフト沿いにも道があり、いつもそこから稜線に出ていたのですが、昨年ロープが張られ通行禁止の看板が建てられました。


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昨年建っていた看板

今年はロープも看板もなく、登って行ったらしい登山靴の跡もたくさんついていました。
どうなっているんでしょう。自然保護のための通行禁止だったのではないのでしょうか?
いつもこの道を便利に使っていたものとしては、通っていいのか悪いのか中途半端は困ります。

ここにある廃線リフトも撤去の話が出たらしいのですが、自然保護団体の反対にあったと聞きました。


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お客さんから、あの使われてないリフトはなんですか?とよく聞かれます。
たしかに観光地として景観的に良くないものが長い事放置されています。
歴史的遺産とでも言いましょうか・・・
現在この旧リフト駅舎は、冬にはツアールートの非常に良い目印になっていて、休憩したり、吹きっさらしの稜線に出る時にはここで身支度を整えたりしています。

身近な所でおきていた事件だった分うまく説明できませんが、なにがあってどうなったのか、なにが正しかったのかは書いておきたいと思います。



資 料
蔵王県境訴訟に関する新聞記事↑  ネットで探した衆議院会議録情報も当時の様子が少しわかるかも・・
本は「蔵王県境が動く」 官財癒着の真相 蔵王県境移動国賠訴訟原告弁護団  佐藤欣哉著。
敗訴側の本として「蔵王県境裁判30年の軌跡」 元秋田営林局計画課職員 根岸秀治著 等があるようです。


県境について
現在稼動中のリフト「刈田リフト」の右側(南側)には登山道があり、それが本来の県境(登山道=県境)だったのです。
(フリー百科事典や一部の本などに未定地だったとする文章が載っていますが、未定地だったのではありません)
現在の県境は、刈田リフトの下を横切るような形で分水嶺(界)に沿ってひかれています。
これは長い裁判の途上で、いつまでも未定地のままでは良くないという事で決められたようです。
県境は、そこがたとえ国有地であっても国(営林署)などが決めるのでなく、隣り合う市町村が合意のもと決めるのだそうです。

31年の長い裁判で、登山道=県境であったと実証されましたが、いったん決着のついた県境は再び元に戻される事はないようです。


県境裁判のあらまし等

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「蔵王県境が動く」目次・内容一部紹介↓↓
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「蔵王県境が動く」 官財癒着の真相
蔵王県境移動国賠訴訟原告弁護団 佐藤欣哉 著 やまがた散歩社

    目 次

はじめに 原告弁護団長 佐藤欣哉

 私たちは、この事件を「蔵王県境移動事件」と呼んできた。
 この事件は、1963年に起き、1995年にようやく決着をみた。
 それにしてもこの事件は、異常かつ異様な事件であった。
企業と行政が癒着したとき、この場合、山形県内の世論をリードすべき地方マスコミを担う企業を中心とするボス的企業グループと国の機関、そして山形県当局が癒着したときには、このような驚くべき事件を作ることができるのだということを、見事なまでに明らかにしてくれた事件であった。
 県境移動という、おそらく現代の民主主義の世の中ではあり得ないと思われるような事態を、笑い話でなく、地方のボス的企業の利権を守るために、そしてそのライバルとして登場しようとする企業をつぶすために、行政が実行してしまったという事件であった。
 つぶされようとしたそのライバル企業の社長らが、自らの事業遂行に力を注ぐよりも、県境移動という暴挙まで惹き起こしながら妨害行動をとってきた行政の不当さを世に訴える活動に精力を集中させ、自らの事業をつぶしながら、以来32年間、県境移動の真相解明に取り組んできた。それはまさに、余りの不当さに怒っての執念そのものであった。
 そして、幾度かの障害を乗り越えての、ようやくにしてたどりついた結論が、やっぱり、県境は移動されていたという事実であった。
 真実の勝利は、32年目にして初めて勝ち取られた。
-------後略-------

第1部 解き明かされた真実」
正義は勝つ」
31年目の大逆転勝利
 
 1995年1月23日、仙台高等裁判所は、蔵王県境移動事件で、提訴以来31年目で、山形地裁の敗訴判決を取り消して、被告の国を断罪し、原告の北都開発(代表取締役佐藤要作さん)を勝利させる逆転判決を言い渡した。
 --------中略-------
 私は、要作さんと共にこの15年、この裁判の闘い(これは私の実感としてもまさに「闘い」であった。)に取り組んできたが、要作さんに続いて「この当たり前の勝訴判決を得るのになんで31年もかかってしまったのか」と話そうとして途中で絶句してしまった。私のその時の心境を支配していたのは、勝利し得た喜びではなく、何とも言い知れぬ怒りの感情であった。
-------後略-------

蔵王県境移動事件とは
要作さんとの出会い
初めての蔵王調査
3代目弁護団
見込み調査の失敗
「涯しれぬ道」
改ざんされていた測量資料
図上位置決定法
国・当局に惑わされず
時の流れ
記憶との戦い
24号石標
親亀と子亀
5万分の1地形図
裁判官の表情
要作さんへの尋問準備
山形県は何をしたか
なぜ県境は移動されたのか
執拗に続く妨害
要作さんらの反撃
牽強付会
自由法曹団山形支部10周年で
敗れたり
敗訴判決の論理
弁護団声明
記者会見で
その直後の情報
「水掛け論争」克服の模索
第1回準備書面
県境線の歴史的視点
思いがけない電話
重大情報

------- 前略 ------
 蔵王の地域が記載されている5万分の1地形図を拡げ、県境移動が問題となっている場所を示しながら、「ここを良く見て下さい」とGさんは語る。その場所はこれまでも何度も見てきた所でもあるが、改めて見ても私には、格別気づくことはなかった。
 「登山道に沿って、県境線が描かれているが、この県境線の表示を、拡大鏡で見てみなさい。」「登山道に沿っている部分と登山道から外れている部分の県境線の表示の仕方が違うでしょ。」「そう、県境線の連続する一本一本の線の先端には4つの突片が登山道から外れているところでは着いているが、登山道に沿っているところではこの突片が登山道側で省略されて2つしか着いていないでしょう。」
そうなのだ。Gさんの指摘するとおりであることに、拡大鏡を手にした私もようやく気づく。今まで何度も見てきながら、私はついぞそのことに眼は行っていなかったのだ。
 問題の場所の地形図の部分をここに掲載しているのでこれを読まれている皆さんも、眼で追っていただきたい。


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クリックで拡大


登山道から外れている部分の県境線の一本一本の線を拡大し誇張して表現するとすれば、挿絵のAのようになっており、登山道に沿った部分のそれはBのようになっていることに気付くはずである。
 そしてGさんは、挿絵のAの表示が本来の県境線の表示方法であるが、この県境線が地形図上の「線状物体」、この場合は登山道を指すが、これと一致する時には、線状物体から県境線をわずかに離して挿入するとともに、この線状物体側の突片を省略し、従って挿絵のBのような表示方法となるのだと説明し、これは地形図作成上の決まりなのだとつけ加えた。
 つまり、この5万分の1地形図では、問題の場所では何らの異議もさしはさむ余地なく、登山道と県境線は一致するものとして挿入されていることを意味する。従って、この蔵王付近の地形図が最初に作られたのは1911(明治44)年であり、この地形図上の県境線がひかれるについては、現在の山形県上山市(当時中川村)と宮城県七ヶ宿町(当時の七ヶ宿村)の各担当吏員の立会い指示確認のうえであったから、明治の時代から、関係自治体が県境線と登山道が一致するものとして当然に認識していたことを意味していることになる。

国は私たちを騙していた!
私は、この話にただただ驚くしかなかった。
それにしても、何ということであろう。
私は、かつて、この地形図を作成している国土地理院本庁の、しかもまさに担当部署の地図編集部門にでかけ、この場所の地形図の読み方をしつこく尋ねたことは、さきに記述したところであるが、その地図編集部門の担当者は「この地形図からは、登山道と県境線の位置関係はまったく判断できない」と私に言い続けたのであった。あれは何だったのか。
 そしてまた、これもすでに記述したところであるが、山形地裁の審理の段階で、被告の国側が申請した証人のH氏、この人もまた、この事件の刑事裁判で現職の国土地理院の職員として鑑定をし、K山形営林署長の無罪判決に大きく寄与する役割を果たしていたが、このH氏は、堂々と、やはり「この地形図からは判断できない」と証言し続けたのであった。私たちの民事裁判の場のみならず、刑事裁判で証人となったときも、このH氏はそう証言していた。あれは何だったのか。
Gさんは、この説明を私にする冒頭に、「私はどちらの味方をしたいとか、そういう意志はまったくない」趣旨のことを述べていたので、私はこの説明を受けた後、Gさんに心から感謝の言葉を述べながら、「どうして私たちにこのことを教えていただけたのか」という趣旨の質問をしたように思う。その答えの中のGさんの「地図屋の良心」という言葉は、私に強烈な印象となって記憶された。 
-------中略-------
 そして「地図上で県境線が登山道と一致していることが明らかである以上、営林当局が分水嶺に県境移動した事実は既に明白で」、結局「営林当局は、昭和38年に県境線を登山道から分水嶺に移動し、山形交通のリフト建設を不法に手助けし、他方、控訴人(北都開発)のリフト計画を妨害したのである」と結論づけた。
-------後略-------

裁判は新たな展開へ!
地形図に軍配
裁判は「水物」
私の胃がん
国絵図の本物さがし
関所破り
歴史も見方だった
大衆的裁判闘争
「基本図」
いよいよ結審へ
「誹謗中傷」
判決予測
最後の意見陳述
逆転の完全勝訴判決

-------前略-------
 判決理由の要旨の朗読が続く。
 「山形交通のリフト建設に支援協力をしようとの一貫した意図の下に」 「公平な事務処理をすべき責務を忘れ、偏頗(へんぱ)な意図で」北都開発の国有林野の貸付け申請を取扱い、「登山道を県境であるとしていた従来の取扱い」を変更し「『境界移動』というような手段を用いて」その申請を「拒否したり妨害したりしたのは」「貸付権限の濫用となる差別的取扱いであり」「違法な公権力の行使に該当する。」
-------後略-------

判決確定、しかし謝罪なし

第2部 各弁護団員の回想
1 正義は最後に勝つ     三浦 元
2 私と蔵王県境事件     外塚 功
3 真実が裁判所を動かした 縄田 政幸

付録 裁判資料
仙台高等裁判所第2民事部による判決文全文

あとがき


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 蔵王県境が動く 内容紹介(著者了解済) ↑↑  
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現在の地図              





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御田の神から刈田岳を望む



この県境問題が決着したのは1995年。
あの未曾有の阪神淡路大震災と時を同じくし、その影に隠れて正しい情報が意外と知られていないように思います。

追記-12009年8月小説「蔵王県境事件」 須貝和輔著 東北出版企画出版 
 2014年7月佐藤欣哉弁護士を紹介するブログを見つけました。この県境裁判の事がとても解りやすい文章で書かれています。こちらをご覧下さい。
  


追記-2    2015年11月4の投稿 北都リフトが撤去されました。

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北都リフト小屋跡に設置された看板
[ 2007/06/19 22:50 ] | TB(0) | CM(1)

仙人沢遊歩道

雪害で大荒れの仙人沢遊歩道でしたが、倒木を片付けたと聞いたので見てきました。

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一番ひどかった所は道が確保されていました。 右:整備後

 


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ここの倒木も片付けられていました(整備後)

 


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左:綺麗な滝壷には倒木が落ちていました。右:崩れた斜面。

 


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涼しくきれいな流れも残っています

 


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一週間前は蕾だったクルマバソウの花が咲いていました。
ズダヤクシュも蕾を膨らませていましたよ。


 


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マイナスイオンたっぷりの観音滝

ここから超急な鉄の階段を登り、お清水の森近くに出ます。
この急階段も整備されるようです。
だいぶ荒れてしまった仙人沢ですが、道はとりあえず確保されました。
運動靴で大丈夫ですが、ジメジメした所や小川や転石を渡る所が一部あります。
雨上がりは、足元や斜面の上の方も気をつけながら歩いた方がいいですネ。
ペンション村からは2時間ほどで行って来られます。


[ 2007/06/04 22:30 ] | TB(-) | CM(0)