冬は皆里に下りてしまい無人になる畑部落にも、雪囲いを外しに来ている人の姿が見られました。
駐車場には車が1台止まっていました。
急いで支度をして登って行くと、あちこちで小さな沢が出始めていて、今年は雪も少なめな感じです。
途中から1人分の登山靴の跡も見つけました。
今日の足跡のように思いましたが、途中から引き返していて会うこともありませんでした。
稜線に出ました。
葉山は馬蹄型をした爆裂火口(右側)、そのへりを小僧森、大僧森とアップダウンで越えて行きます。
最初の小僧森は、いつもはトップに倣いめいっぱい足を踏ん張ってシール登高をするのですが、今日は私がトップ!?、つぼ足で登ります。
太陽には暈がかかりお天気は下り坂、でも夕方まではなんとかもちそうです。
静かで穏やかな稜線を越えて葉山山頂に着きました。
稜線の向こうに見えるのは葉山神社、その向こうには鳥海山が霞んで見えます。
携帯がつながるので、山頂に着いた事を連絡して30分ほど休憩。
帰路は同じ道を辿ります。
雪は良く滑って快適でした。
何年か前に葉山に来た時、帰ってから警察から電話がかかってきた事がありました。
「あそこに車を止めて、なにをしていたんですか?」という内容の電話でした。
詳しくは聞きませんでしたが、長閑な山あいの部落にも空き巣が入るのではと思いました。
もちろん私達は「山スキー」に行ったのですよ! y
久し振りに良いお天気です。
前から気になっていた古屋敷から番城山に行ってきました。
もう少し後だと新緑がきれいでいいのでしょうが、なにぶんにも熊の棲み処と言われる山。
そしてきちんとした登山道がない山だから、藪漕ぎしなくてもいいうちに出かける事にしました。
車を止めた杉林の入り口
昨年下見に来た時は車でもっと奥まで入ったのですが、道も悪いしすれ違いもできないので、林道の途中に止めて歩くことにしました。
歩き始めて間もなく、杉林はまるで伐採途中のような光景になっていました。
良く見ると裂けていて、伐採でなく折れたのだと分かりました。
幸いにも跨いだり潜ったりして通過できましたが、ここにも雪の被害が出ていたのです。
鈴とラジオの2本立てで、少々というよりだいぶ賑やかに歩いて行きます。
小さな沢を渡る所(昨年の車終点地点)まで20分ほど。
そこから杉の植林地を登って行きます。
坊平から見ると、まるでスキー場のように見える所です。
植林地はだんだん雪の上を歩くようになり、ブナ林に入る頃には暖かくて腐った雪に時々足をとられるようになりました。
林の中には木にピンクテープが付いていたり、所々赤いペンキの印もついていました。
まだ雪があって見通しがきくから良いのですが、藪に覆われるようになると本当に有り難い目印となる事でしょう。
植林地からブナ林を登り尾根に出て、尾根の右側を進んで行きます。
平らな尾根が傾斜を増すようになる所で、尾根の左側の沢に入ります。
沢をつめると水平道のような段のついた所へ出て、さらに左よりにルートをとると山頂は間もなくです。
山頂の小屋?はだいぶ姿を現していました。
その向こうには石の祠が屋根をちょっとだけ覗かせていました。
昨年は、地元の東小学校の子供達が5月18に登ったようでした。
今年も残雪の具合が調度いい頃に、先生や父兄の方たちと登るのではないでしょうか。
番城山は蔵王の展望台。
やっぱりお天気の良い日に登るのが最高です。
そして藪が隠れている季節に登るのがいいですね。
心配した熊の気配もなく、帰路雪解けが始まった植林地で紫色と白い色のキクザキイチゲを見つけました。
夏毛に変わり始めた可愛いウサギにも会えたし、静かでいい山でした。 y
もう少し詳しくはHPをご覧下さい
ミズナラの林を歩いていると、一枚だけ緑の葉らしき物を付けた木があるので行ってみました。
それは葉っぱではなくてツリカマスでした。
ツリカマスはウスタビガの繭で、これは抜け殻です。
なんの事はない、私のきらいな毛虫の創造物です。でも上手なものですね!
葉を落とした林の中でよく見かけます。
久し振りにお清水(おしず)の森に入りました。
そのまま森の中を登って行こうとして、ふと「ねじれ杉に会ってから・・・」と東屋を回り込みました。
そこにはなんと、無残な姿のねじれ杉が立っていました。
樹齢300年とも400年とも言われる杉林の中で、たった1本だけの珍しいねじれ杉なのです。
あとで聞いたところによると、1月後半から2月初め頃に折れたのではないかとの事でした。
あの大停電した時の雪の所為でしょうか。
ちょっと残念です。
4月1日、ライザスキー場から熊野岳~蔵王温泉スキー場へ山スキーツアーに出かけたお客さん2名が夜になっても戻らず、遭難の可能性もあり、蔵王連峰遭難対策委員会に連絡、捜索活動が開始されました。
そのお客さんは、山中で一夜を過ごし、翌朝蔵王ロープウェイ山頂駅に自力でたどり着き無事を確認されました。
2日午前、山形警察の事情聴取を受け(蔵王温泉スキー場は山形市)、警察の車で野口ペンションへ戻り、上山警察の事情聴取を受けました。
同席した主人が聴いた話と、お客さんから直接聴いた話などを掻い摘んでの報告です。
1日朝9時、ペンションの電話が鳴りました。「今日泊まれますか?」と予約の電話でした。
人数は2名で、山スキーを借りたいとの事。そして今、ライザスキー場行きのシャトルバスに乗る所だとのことでした。
又「翌日は朝いちで下りたいけれど送ってもらえますか?」と聞かれたのですが、忙しいのでお断りしました。
関西方面の言葉だったので、上山の旅館にでも宿泊しているお客さんが1日だけ坊平に泊まって山スキーを楽しむのかと想像していました。
とりあえず出発の時間も気になるので足のサイズを聞いて、すぐ出かけられるように用意しておきました。
やって来たお客さんの1人の顔を見て「見た事がありますね」と主人が言うと、「2年前に泊まりました」とのことでした。
私には記憶がありませんでした。
よく思い出せずにはいましたが、とりあえず知っている人という事で安心して山スキーを貸してしまいました。
部屋に入れないのでお風呂場の脱衣室で着替えをして、話しをしながら支度をしてもらいました。
この時間だから刈田岳往復くらいかと思っていたら、熊野岳から蔵王温泉スキー場までツアーするというのです。
それでは尚急いで出発しなければと、地図は持っているというので主人はルート図を書き、間違えやすい熊野岳の周辺や地蔵周辺の説明をしました。
私はうちのテルモスに熱い紅茶を入れて持たせてあげました。そして山スキーの操作の仕方を教えて急いでライザスキー場まで送っていったのです。
登山届けはリフトに乗る前に出しておくとの事でした。
時間が時間なので、私達はてっきりそのままリフトに乗って出かけて行ったと思っていました。
私はお客さんを送り出した後急いで2年前の予約帳を調べてみました。
予約帳には3月1日、「S田」と苗字と携帯電話の番号だけが書いてあり、2年前も直前の予約でやってきたのかもしれません。
夜には樹氷のライトアップを見に車を出し、主人は下で温泉に入って待っていました。
翌日は蔵王~坊平への山スキーツアーに行きたいとの事で、うちに山スキーのレンタルがある事を友人に調べてもらって泊まりに来たと話していたのを覚えています。
その時に地図は持っていますか?と聞いたら、「持っていないけれど頭の中に入れてあるから大丈夫です」と答えたのにびっくり、その感覚はオカシイと思ったのです。
遭難が多発していた年でもあり、主人からその話をしてもらい、なんとか中止してもらいたいと思いました。
幸いにも翌日は大荒れ、地蔵の辺を少し歩いて敗退して帰って来た時にはほっと胸をなでおろしました。
あれから2年、たくさん経験も積んだかもしれない。一抹の不安を感じながらもそう思うことにしました。
一方、すぐ出かけたと思っていた2人はライザのレストランで早お昼を食べてから出発したのでした。
刈田リフト下付近で3人ほどの登山者と会話して、その人たちは風が強いので諦めて下山するという事で、2人が「蔵王温泉まで行く」と言ったら驚いていたそうです。このあたりで12時頃になっていたようです。
その後馬の背に出て刈田岳へ。お釜も良く見えていたとのことでした。刈田岳から熊野岳までは風も強く2時間もかかったそうです。通常の倍の時間はかかってしまったようです。
熊野岳へは、主人の手書きのルート図で説明した2つ目の方法で、夏道に沿った左斜上のルートで熊野岳神社を目指し、尾根通しに避難小屋に戻り、なんとそこからそのまま北蔵王の方へ行ってしまったのです。
主人が「避難小屋の所から左側に戻るような感じで回り込み、木のポールに沿って行く」と説明した事は忘れてしまったようで、地図を見ることもなかったようです。
視界は良好で名号峰も見えていて、2人はこれが地蔵山だと思っていたそうです。
熊野岳から歩いている途中で振り返れば地蔵を見ていたはずですが、あまりの強風に振り向くこともしなかったのでしょう。
追分を過ぎ名号峰で夕暮れとなり、木の根元の風の来ない所を少し掘って座れるようにし、ツエルトをかぶり1人はシュラフ、1人はアルミのシート(レスキューシートか)に包まる。
そこからは蔵王ロープウェイ山頂駅の灯りが見え、ルートを間違えている事を初めて知り、携帯電話で連絡を取ろうにも圏外の為諦める。
食料は飴とビスケットしか持っていなかったのだそうです。
強かった風も夜にはおさまり暖かい夜で、それほど寒さは感じなかったようです。
翌朝シールを貼ったスキーで登り始めるが踏んばりがきかず、結局スキーは背負ったまま蔵王山頂駅まで歩く。
視界は悪かったが、ルートは昨日のうちに確認できたので大丈夫だったようです。
8時50分、ロープウェイ山頂駅に着き、既に遭難の連絡が伝わっていた為職員により遭難者と確認され、警察へ連絡される。
足はヨレヨレで押さえがきかず、もしここから滑って下りて下さいと言われても下りれるような状態ではなかったと話していました。
事情聴取の中で「スキーは主にどこで練習しているか?」という問いに対し、S田さんは「ここで(坊平で)3回目です」と答えました。
という事は、2年前うちに来て、山スキーでツアーをしようとした時が初めてのスキーだったという事になります。
2回目は坊平でテレマークを借りスクールにも入ったらしい。
そして今回が3回目だったのです。
事情聴取は殆どS田さんとやっていたようで、もう1人のS水さんの事は殆ど聞く機会がありませんでした。
今回の事は起こるべくして起こった遭難騒ぎで、深く反省し間違っても自力下山したと胸を張るようなことがないようにお願いしたいと思います。
S田さんは2日の夕方には山を下り、青春18切符で旅を続行したようですが、もし今回の山スキーツアーを旅の途中のイベントと捉えているなら、それはやはり山に対する認識が甘いと思います。
帰られた翌日には雪も降りました。本当に運が良かったと思っています。
私達も、お客さんがどこまで山の事が分かっているのか、どのくらいスキー技術があるのか知らなければならない山スキーのレンタルの難しさを感じています。 y
(情報提供いただいた仙台の伏見さん、有難うございました)
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Author:noguchi
pensionオーナー夫人
山が好き、花が好き、鳥が好き・・・
やっと自然を楽しめる年齢になりました。
オーナー(hisa)も投稿します。